先日の朝、会社へ行くの道で暫く立ち止まってるとき、
ずっと空を飛びていた飛行機を見ながら、
『本物の自由って何』と考えていた。
気がづいた瞬間、飛行機が見えない遠くに消えてしまったの。
あっという間に、自分も飛行機と同じのみ込まれてしまいました。
自由って、飛行機みたいなことだろうかと自分に聞いたの。
飛行機が空を飛びていろいろな所へいけたけど、
他の人のために、変わらないコースのとおりに
きちんと設定されてしまった空港に着陸しなければならないの。
それは自由のようなことだけ、本物の自由だと言えないよね。
じゃ、紙飛行機は?どんな自由だろう?
目的もなし、とこへ飛びて行くのもしらないし、未知の道だけなの。
ちなみに、
紙で作ってから、雨が降ると壊れしまった可能性もあり、
風が強く吹いた時自分の運命がどうなるのも予想できそうもないね。
そういえば、飛行機や紙飛行機と同じ、
私も選択ができないのを実感させられます。
私が、本物の自由って、
約束がないのはない、選択ができるのということのはずだと思ってる。
それで自分の生活をチェックしてみたら、
不自由の感じが雨のように降られた。
私を作るのに、その”紙”、だんだんと破れるようになり、
何処へも行けないようです。
その奥深さに、偽物の自由しかないから。
星は数百万年からの光であり、私達の夜を輝かしくなってくれたね。
私、何をするために、ここへ?
今日まで何を考えて生きてきたんですか?
あるいは、何も考えないで水を飲むように時間を過ごしてしまったの?
こんな私が、自由が分かってから、もらえませんか?
本物の自由をもらいたいということが私のわがままでしょうか?
自由がみつからないの、なぜ?
一体、なにが足りないんだろう?
もしかしたら、探す方法が間違いで、心で作ったほうがいい。
何も変わらないのが嫌だから、一日も早く、
今日までのと違う、
本物の自由がある明日には生きて行く。
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